熊野街道と信達宿(くまのかいどうとしんだちしゅく)

はるか熊野へと続く、参詣のみち

泉南市信達市場

古代から中世へ。社会が大きく変動する中で、都の皇族や貴族、有力武士たちが、心の安らぎを求めて熊野大社(くまのたいしゃ)へ参詣するようになります。
それまで南海道と呼ばれていた紀伊に通ずる道は、熊野街道(大道)と呼ばれるようになり、熊野詣(もうで)の一行で大いににぎわいました。市内には熊野九十九王子のうち、厩戸(うまやど)王子などが祀られ、また信達宿には後鳥羽上皇(ごとばじょうこう)や歌人・藤原定家(ふじわらのていか)なども宿泊したと記録に残っています。こうして栄えた街道の秩序を守るため、周辺の人々には重い負担が課せられたのですが、熊野詣が人々にもたらしたものは決してそれだけではありません。熊野へ向かう一行と共に都の多くの文化が、街道沿いには伝えられたのです。

(写真)現在の熊野街道

特に信達宿は、和泉南部においては最も栄えた宿場(しゅくば)町のひとつであり、現在も見られるように、街道沿いに家々が建ち並ぶ様は、当時の熊野街道や信達宿の様子を実に良く伝えています。時代とともに町並も変わりつつありますが、本陣(ほんじん)跡、旅籠(はたご)跡、常夜灯(じょうやとう)が残り、昔の宿場の様子をしのぶことができます。古い家屋は、入母屋(いりもや)造りで妻入(つまい)りのものが多く、街道に面して間口が狭く、奥が深いのが特徴とされています。

熊野街道沿いに位置する本陣跡の詳細は下記リンクをご覧ください。

地図情報

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