山之井(やまのい)

『日本書紀』伝承の地

 『日本書紀』(にほんしょき)「神武天皇」(じんむてんのう)の条に見える、「茅渟山城水門(ちぬのやまきのみなと)【山之井水門(やまのいのみなと)】に上陸」の記事は、大和朝廷(やまとちょうてい)の国家統一に関連する出来事を投影したものではないかと、いわれています。
 男里「天神の森」(てんじんのもり)から樽井小学校付近までの一帯は、山之井水門【雄水門(おのみなと)】と伝えられ、『日本書紀』によると、神武天皇の兄の五瀬命(いつせのみこと)が矢傷をうけ、無念のあまり雄々しく叫んだところだとされています。当時、雄水門は北に樽井の高台をめぐらし、西には「天神の森」の砂丘を防波堤にする、理想的な良港だったのかもしれません。大正14(1925)年に樽井の有志の方々が「五瀬命遺蹟(いせき)」記念碑建立と玉垣(たまがき)の建設をおこない、現在まで大切に残されてきました。碑の両側には、下の和歌二首が刻まれています。

また男里にも昭和47(1972)年「山之井遺跡」碑が地元の方によって建立されました。現在は天神の森の南東約200メートル、男神社へと続く道路沿いの地点に移され大切にされています。

 天神の森については下記リンクをご覧ください。

樽井の「山の井」碑と「五瀬命遺蹟」碑

男里の「山之井遺跡」碑

藤原 光俊
『山のゐの みなとはなれて 行く舟の あかても人に ぬるるそてかな』

豊岡 尚資
『山のいの みなとを今の たるゐとは むかしわすれぬ 人もこそしれ』

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