日本遺産『「葛城修験」—里人とともに守り伝える修験道はじまりの地』の追加認定について
「金熊寺」と「信達神社」が日本遺産『「葛城修験」—里人とともに守り伝える修験道はじまりの地』の構成文化財に追加認定されました
泉南市信達金熊寺地区に所在する「金熊寺」と「信達神社」が、令和6年度「日本遺産(Japan Heritage)」認定内容の変更において、『「葛城修験」-里人とともに守り伝える修験道はじまりの地』のストーリーの内容を充実させるものであるとして、文化庁より構成文化財の追加認定を受けました。なお泉南市の文化財としては、初めての日本遺産認定となります。
また、今回、同時に、貝塚市「蕎原(そぶら)とちのき谷」、熊取町「降井家住宅(ふるいけじゅうたく)」も構成文化財として追加認定されています。
追加認定に関するプレスリリースは下記をご覧ください。(令和6年7月2日)
日本遺産『「葛城修験 」-里人とともに守り伝える修験道はじまりの地』の追加認定について (PDFファイル: 1.1MB)
追加認定された泉南市の構成文化財
金熊寺(泉南市信達金熊寺)
『葛嶺(かつれい)雑記(ざっき)』にみられる「二十八所の峠」のひとつ「風吹(かぜふき)越」への道中に位置する真言宗御室(おむろ)派の寺院です。
『一乗山(いちじょうざん)金熊寺記』をはじめとする縁起によれば、役行者(えんのぎょうじゃ)が本尊である如意輪観音像と草堂をつくり、金峯、熊野両神を勧請し、その鎮守としたことから「金熊寺」と号するようになったと伝わっています。
鎌倉時代にはいくつもの堂塔を備えていたとの記録も残り、和泉における山岳宗教の拠点であったといわれます。
谷地形を巧みに利用して開かれた金熊寺集落の最深部に立地し、約1,500坪を数える境内には本堂や庫裡(くり)に加えて、行者堂、薬師堂などが建てられています。
現在法灯を伝える観音院には、室町時代後期作の如意輪観音像が本尊として安置されています。
泉南市観光ガイド
金熊寺の紹介ページ
信達神社 (泉南市信達金熊寺)
明治の神仏分離政策によって信達神社となりましたが、それまでは、金熊寺権現宮(ごんげんぐう)と呼ばれ、金熊寺の鎮守社でした。
嘉永(かえい)2(1849)年、犬鳴山の智航(ちこう)大徳上人によって著された『葛嶺雑記』にも当社に関する記述がみられます。
中世以降は、信達荘13ヵ村の総社と位置付けられており、根来寺(ねごろじ)へと通じる「風吹越」(根来街道)沿い、現在の境内から北へ約2.4キロメートル離れた地点には一の鳥居である大きな石造鳥居が残ります。
深緑の谷あいに開かれた境内の最頂部には、江戸時代前期の五間社(ごけんしゃ)流造(ながれづくり)の極彩色の本殿が建ち、大規模な割り拝殿(江戸時代中期)と併せて、往時の栄華を偲ぶことができます。
神木であるナギノキとオガタマノキはともに大阪府天然記念物に指定を受けています。
泉南市観光ガイド
信達神社の紹介ページ
日本遺産『「葛城修験」ー里人と守り伝える修験道はじまりの地」』について
1.ストーリー概要
大阪と和歌山の府県境を東西に走る和泉山脈、大阪と奈良の府県境に南北にそびえる金剛山地。総延長112キロメートルに及ぶこの峰々一帯は「葛城」と呼ばれ、修験道の開祖と言われる役行者がはじめて修行を積んだ地であり、世界遺産の吉野・大峯(おおみね)と並ぶ「修行の二大聖地」と称されています。そしてその修行にはいつの時代も、この地に暮らす人々との深いつながりがありました。
詳しくは、下記公式ウェブサイトをご覧ください。
2.これまでの経緯
日本遺産『「葛城修験」-里人とともに守り伝える修験道はじまりの地』は、令和2年に文化庁より認定されました。当初は和歌山県、大阪府、奈良県の3府県にまたがる19市町村、91件の構成文化財によるものでしたが、令和3年に2件の文化財が追加認定されたことで20市町村、93件となり、さらに今年度の認定内容の変更によって、23市町村、97件の文化財によって構成されるものとなりました。
日本遺産とは
・地域の歴史的魅力や特色を通じて我が国の文化・伝統を語るストーリーを「日本遺産(Japan Heritage)」として文化庁が認定。
・ストーリーを語る上で欠かせない魅力溢れる文化財群を地域が主体となって、総合的に整備・活用し、国内・海外へも戦略的に発信していくことにより、地域の活性化を図ります。
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